果てなきはてな

日記を書くのだ

Hateなく続くストーリーのために

新型コロナウイルスの感染も、全国各地でピークを過ぎ、首都圏の緊急事態宣言解除への道のりが見え始めてきた今日この頃。

 

ツイッターのアカウントを消しました。フォローしている人やフォロワーとの繋がり、ダイレクトメッセージ、そしてツイートとRTの全部を。ツイッターアプリもスマホから削除した。

 

さっぱりした。気分的にもすっかり晴れた。

 

 

自宅勤務がはじまって3週目ぐらいから、コロナ後の世界に対する不安と、政府の対応に対する苛立ちから、久しぶりに頻繁にツイッターを見るようになっていたのだが、ツイッターを見たが最後、他人のツイートに対する反感が抑えきれず、自分が攻撃されたわけでもないのについ口を出してしまう。

 

「いいね」が欲しかったわけではなく、ただ言わずにおれなかったから言っただけのツイートが、ひとたび「いいね」されると、承認欲求の罠に囚われ、ツイートするたびに反応が気になり、逆にRTされたり「いいね」されたりするほど、ウォッチされているようで冷や汗をかくことも。自分がツイッターを開いていない間に、炎上しているのではないか、自分の知らないところで問題になっているのではないかという疑心暗鬼で、だんだんとメンタル的にやばくなっていたので、思い切ってアカウントを解除した。

 

元々、情報発信系アカウントとして運用していたツイッターだったから、そういうツイートまで消してしまうのはもったいないような気もしたのだが、よく考えてみると、それらのツイートが、2つや3つ「いいね」されたからといって、誰の、何の役に立ったといえるだろうか?まして、政策批判、政治家批判、ネトウヨへの反論といった、本来の趣旨から外れたツイートなんて、たとえ的を得た意見であっても、どんなに破壊力のある言葉であったとしても、所詮はツイッターの中の蛙。四六時中家族と対峙し、外の人との会話がない生活の中で、鬱屈した気分から、ネットにオピニオンを書き込んだようで、結局は人目につかない便所の落書きを書き加えただけだ。

 

そんなことは、もちろん前からわかっていたけど、自宅勤務になってから、Kindle Unlimited契約してこれ↓も読んだりして、

 

この頃はまだ面白かったなあなんて思った次第。

 

はてな村奇譚上

はてな村奇譚上

 

 

私の印象では、3・11の後(ツイッターが急速に普及した頃)、原発の是非を中心として、それまでになかった大きな分断が生まれ、反原発の論調やデモを封じ込めようとするかのように、SNSネトウヨが激増、ヘイトデモも増え、「ウェブ民主主義」の主要ツールとして期待されていたツイッターは、目も当てられない状態になってしまった。政治の季節ほど、ウェブ上で建設的な議論が行われ、運動につながっていかなければならないはずが、怒りにまかせた罵詈雑言や支離滅裂なツイートばかりが飛び交ってしまうのは、あのときも今回も同じだった。

 

著名人(その多くはタレントか実業家)のツイートはネットニュースやテレビで取り上げられることもあるが、マスコミはただそれを晒すだけで自らは評価を下さず、むしろそれを触媒として読者の反応を見ようとする。もはや新聞もテレビも多数で強い意見に巻かれることしか考えていないかのようだ。パチンコに並ぶ市民や自粛しない人をこれ見よがしに晒して批判しておきながら、自粛ポリスによる私刑が問題視されるようになると、私的制裁をしないよう呼びかけるテレビ報道など、日和見主義以外の何ものでもない。

 

それで、マスコミに触発されてつい文句を言いたくなると、一般人にはSNSに書き込むぐらいしか選択肢がないのだが、ツイッターで頑張って書いても何にもならない上に、思ったような反応が得られなかったり、言いたいことが伝わらなかったり、自分がモヤモヤするだけなのである。同じ理由で、増田に書き込むのも無意味だ。真面目に書いてもディスられたり茶化されたりしてこれまた凹む。

 

だからといって、いまさらオワコン感漂う「ブログ」でもないだろう。いつからか、「ブログをやる」ということが、ブログで物を書くというだけでなく、アフィリエイトをやることと同義になってしまって、注目を集めないブログを書き続けるのはカッコ悪い感がある。若い人には信じられないかもしれないが、gooブログ時代の池田信夫はちょっとカッコ良かったのである。ライブドアに移ってBLOGOSを始めてからは、リベラルの悪口ばかり言う著名人ブロガーみたいになってしまったが(これも原発ロスだ)、gooブログの頃は、方向性が違うとはいえ往年の柄谷行人を思わせる筆致の書評がおもしろく、結構はてなアンテナに入れている人がいたものである。企業や団体に職のある人が個人で実名ブログをやるのは、当時なかなかハードルが高かったのだが、その先陣を切った一人だ。ブログで本を紹介するとアマゾンのアフィリエイトで小銭が稼げることを示したのも、彼だった(別に称えているわけではないが)。

 

同じアフィリエイトでも、今日のブロガーすなわち、自分で買ってもいないし使ってもいない商品を、ウェブから得た情報だけで適当に紹介して広告を踏ませようとする自称「キュレーター」たちは、似て非なる存在で、彼らの紹介文はネット上の説明の受け売りで、レビューでも批評でもなんでもない。儲かるコンテンツとしてユーチューブが小学生の間でも知られるようになると、ブログで儲かるなどという神話は誰も信じなくなり、売れ残ったピーマンといっしょに高知のどこかの畑に埋もれてしまった。

 

 

昔は面白い文章を書く人が多かったはてなダイアリーも、はてなブログに完全移行してからは、はてサの言論ブログもすっかり目立たなくなり(はてダではどんな日記も更新した瞬間はトップページに晒されるというメリットがあった)、著名人ブログも各分野の最新の数人を除くと、もう何年も更新されていなかったり、そもそも著名じゃなかったり。残されているのは、自分からずっこけて笑いをとる道化師として生きる道か(その先にあるのはユーチューブだ)、言論から遠く離れた平和なところで趣味の世界に没頭する修行僧の道か(noteに大量移民中)・・・

 

芸能人ブログやまとめブログに棲み分けが定着した他社のブログサービスなんて目も当てられない(儲かってるのか?)が、じゃあこれといって個性のないエキサイトブログやYahooブログにどんどん近づきつつあるはてなブログもまた、終わりに近づいていることに変わりはない。

だから私が何とかしよう、とか言いたいのではないし、何とかできるとも思えない。ただ、はてなブログが終わるそのとき、はてなが終わるまでは、

離れることもない

そう願っていた 幾千の夜と

戻らない時だけが 何故輝いては

やつれ切った 心までも壊す・・・

このTragedy Night

           by WANDS

 

日記でも書いてようよ。